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無為の一言

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無為の一言

無為とは―

無為とは『老子』の思想で無為自然、あるがままの意。
仏教では因果の関係に囚われない常住不変の存在「真理」。
私の場合は何もしないブラブラした無為な毎日からでる戯言。

過去の更新

有難き仏縁

早いもので入寺して十年目を迎えます。これまで皆様のご縁に支えられた十年でもありました。
振り返れば、十年の月日には多くの出会いや喜びだけでなく、同時に別れや悲しみもありました。
東日本大震災被災による突然の別れやお世話頂いた方達との惜別。
愛別離苦との言葉通り親しくなるほど別れの苦は重くのしかかります。
いくら修行や勉強をしても、この地で共に歩む住職にしか味わうことの出来ない感情であり経験です。
読経や教えを説くだけではなく仏事を通して一年後、二年後も遺族の歩みを見守り、その思いを共有し後世に伝えていくことも住職としての大切な役目であります。
「日日是好日」という禅語があります。今日という日は過ぎ去れば二度と戻って来ない掛け替えのない日であると感謝出来る素直な心。
昨年の花園研修大会で鎌倉円覚寺の管長様がお話しされていました。「死後の世界などは分からないし、未来も分からない。只、大切な方といつか会えると、明日があると信じて生きてゆくことは出来るはず。」と。
自分の好、不都合で捉えるのではなく順縁でも逆縁でも私を育ててくれた有難い仏縁だと信じて今を歩んで行きたいものです。

臨済宗妙心寺派 安養山 淨勝寺

TEL: 0226-42-2515
住所:〒988-0341
宮城県気仙沼市本吉町津谷桜子74